記憶に残っている言葉
その2
数日後、祖母のお見舞いへ行こうと家族全員で船に乗り、病院へ向かった。
その時にベッドで横たわっていた祖母は、私が見たことのない祖母であった。
体はあまりにやせ細り、声は出せない様子で、身体中には色々な管が通っていた。
その姿があまりに痛々しく思わず涙が出そうだったが、祖母の意識がある事に気がついて、ハッとした。
お見舞いに来た孫に、自分の弱った姿を見られて泣かれたら、そんな辛いことは無い。
私はとにかく涙をこらえる事に集中した。こらえている事もバレないように必死だった。
2つ上の姉は昔から泣き虫で、隣で素直に泣いていた。
その時、両親の知人のご夫婦が、祖母の面倒をよく見てくれており、この日も立ち会ってくれていた。
そのご夫婦の旦那さんが姉に、「泣かないで、おばあちゃんが悲しむよ」と、祖母に聞こえない場所で励ました。
私はというと、泣くのをこらえる姿を見られたくない気持ちでいっぱいで、死の意味をわかってない子どものフリをした。
そして窓の外のアドバルーンを眺め続けていた。
祖母はその後容態は急激に悪化し、結局鳥になる夢は叶わないまま、その病院で亡くなった。
64歳という若さだった。
ご夫婦は、祖母のお通夜やお葬式と、ひと通り手伝いに来てくれた。
私はもうこの人たちの前で泣いて良いと思った。
火葬場では特に、泣いた。
その時そばに居てくれたご夫婦の旦那さんが、泣く私の肩を抱いて「やっと泣いたな」と優しく声をかけてきた。
その時私は、最後までおじさんを騙せたと思った。
祖母が管だらけのあの日、死を理解できない子どもが、今は火葬場で祖母の身体が焼かれる事で、やっと死に気がついて泣いた、そう思わせる事に成功したと思ったのだ。
なぜ幼い私がそこまでしたのかというと、見知らぬ大人に、ありのままの心理を表現する事に恥ずかしさや抵抗があったのだと思う。
しかし私が大人になるにつれ、旦那さんを騙せたという解釈は違ったのかもしれない、と思うようになった。
きっと旦那さんは、あの時涙をこらえた私をわかっていた。
涙を我慢していた私に「やっと涙を流せたね、我慢して偉かったな」という意味で言ってくれたのだ。
8歳の私には、自分の時間を削って人を看病するような人間を騙す事なんてできるはずがなかった。
「やっと泣いたな」
その一言は私の心に今も強く残っている。
旦那さん、どうもありがとう。