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flying disc radioのWebマガジン

懐新(かいしん)

約 4 分

第一杯目

今回、コラムを書く機会を頂いて思ったのは「今一度 自分の人生を思い返す良いきっかけ」でした。
そして 少しでも飲食業界に興味がある人の背中を押せたら嬉しいなあ、と。

飲食業に携わって11年。思い返すと就く前、20歳前だった僕は揺れていました。

当時ヒップホップもアパレル業界も、ものすごく格好よくて かたや飲食業界も空前の焼酎ブームで夜の街がとても面白くて…結局その時は文化服装への進学を決めましたが、学校終わりやバイト帰りに居酒屋やバーへ遊び回っているうちに目の前で繰り広げられる料理や心を掴まされる接客に魅力を改めて感じ、翌年には学校を中退し料理の道へ素っ裸で飛び込みました。

本当にど素人な上、左利きだったので手元が全て見えるカウンターでは本当に毎日恥ずかしい思いの連続でした。「丁稚(でっち)」や「ギッチョ」だの、当時の常連の方々にはよく茶化されていました。

当時、包丁も左利きのものは少し高くて買い揃えられなかったので、右用のものを買い砥石で左でも使えるように調整して。右用の包丁を左で使っているのでとても不思議そうに、且つ危なっかしく見られていました(笑)
僕は、小さいときから外食がファミレスではなく居酒屋やダイニングバー、スナックが大半でした。笑って楽しそうに食事をしている大人でお店はいつも賑わっていて、その時の記憶がとてもいい思い出として残っているのもこうしてこの仕事を続けられている秘訣というか…

あの時の雰囲気の店作りをしたいなあって。呼び戻したいなあって。スナックでママと「ロンリーチャップリン」をデュエットしたりショットバーでベロベロのお姉さんに「アンタは将来イイオトコになるわよ~!」なんて絡まれたりもしたのを鮮明に覚えています(笑)

荻窪のドンかみろ、アルバトロス、高円寺のフラミンゴ。
フラミンゴにはジュークボックスがあって、アルバトロスにはレーザーディスクがあって…円盤の行方を目で追うのが楽しかった。

この業界は、すごく魅力的に見えます。
ザ・エンターテイメント!って感じ。
でもいざ働いてみると10時間以上立ち仕事だし(全部ではないですが)最初は給料も少ない、時には酔っぱらいのお世話も。
「ああ、チクショウ!」って思うことの連続だったりするかもしれません。

それでもやっていけているのは、本人の“好きだから”という気持ちも勿論あると思いますが僕は上に立つ人間が重要だと思っています。
ちゃんと見てあげる、伝えてあげる、支えてあげる。

コミュニケーションが不可欠。かくいう僕もそうでした。
周りの先輩や、仲間、親方や上司が「ちゃんと立って!肩貸してやるから!頑張ろう!」って、そういう気持ちをダイレクトに伝えてくれたから今も“好きだから”続けてこれたんです。

今は…というか、前もそうでしたが上に立つ立場だからそのことを自分なりに解釈しながら伝え続けています。
いま働いているあまた食堂もオープンして間もなくて、今のところ一人で厨房を切り盛りしていてそりゃあ、しんどかったり 時にはため息も出ます。
それでも一緒に働いているスタッフが不馴れなりにも頑張ってくれている姿を見ると、「この子たちに恥かかせないようにしなきゃな」って、踏ん張れる。もちろん、お客様たちにも。
どれもこれも鏡だから。
全部跳ね返ってくる怖さと喜びは、まるで地獄の中の天国です。

とにもかくにも大変だけど夢のある仕事だと思っています。無限大に。
だって、どの仕事より一番「ありがとう」を言ってもらえる職業ですから。

About The Author

Shintaro Tsurugaya
プロフィール
鶴賀谷伸太郎 1986年生まれ。
東京都高円寺出身。
文化服装学院を中退後、飲食業の道へ。鰻・割烹「味乃宮川」代々木「喰切・基」を経て、現在は(株)モーフィングがトータルプロデュースする あまた食堂の料理人として入社。地域に寄り添う食堂として根ざせるよう奮闘中。

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