記憶に残っている言葉 その1
私には記憶に残っている言葉が多々ある。
ひと、状況、環境、全てが揃い、そこにひらりと言葉が乗ると、脳内に張り付いて離れないのだ。
両親や祖父母の言葉、親戚の言葉、知らないおじさんの言葉、先生の言葉、元彼の言葉、アルバイト先の女の言葉、まだまだある。
こんなに多くて、私は執念深いのだろうかと思うほどだ。忘れたい言葉もたくさんあるというのに。
今日は大好きな祖母の事を書こうと思う。
私の家の真横に隠居していた祖母は、私と姉の面倒をよく見てくれた。
地元では有名な気の強い祖母であったが、孫には滅多に怒らず、私にとってはまるで菩薩のような人であった。
おばあちゃん。
パジャマのお尻にシャツをぶら下げて歩いていて笑ったおばあちゃん。
女の子を描いてと頼むと、日本人だからと黒髪の女の子を描いてくれたおばあちゃん。
ルパン三世が大好きだったおばあちゃん。
ケンちゃんラーメン、ハッサク、味噌せんべいや、ニッキ飴をくれたおばあちゃん。
螺旋状の色鮮やかなストローをいつも用意してくれたおばあちゃん。
カラスの親子の巣の在処を教えてくれたおばあちゃん。
8時だよ全員集合を観た後に、一緒に寝てくれたおばあちゃん。
今でも覚えている子守唄。
尽きる事のない祖母との思い出。
私が小学校に入学する前後あたりから、祖母は身体の不調を訴えるようになっていた。
地元の病院には通っていたが、容体は悪化する一方で、遠く離れた都内の病院に入院する事となった。
私は親の様子から、祖母はすぐには帰って来られない事を察知した。
子供部屋に行き、窓から空に向かって、
「神様おばあちゃんを助けてください」
そう心の中で念じた。
胸の前に組んだ両手がジンジンと痛かった。
そして涙がポロポロとこぼれた。
予感は的中。
やはり祖母はすぐには退院出来なかった。
隣の家に祖母がいない日常がとにかく寂しかった。
そして姉と一緒に祖母宛に手紙を送ることにした。
そのときの一番の宝物だった、蒼いプラスチックのブローチを手紙と一緒に包み、母に郵送してもらった。
数日後、祖母から返信ハガキが届いて、胸が弾んだ。
さっそく姉とハガキを読んだ。
残念ながら本文の内容は覚えていないのだが、ハガキの片隅に「鳥になって帰りたいよ」と一言添えてあった事をよく記憶している。
隣には下手くそな鳥の絵が描いてあった。
その一文は、祖母の気持ちそのままであり、その簡潔な内容は幼い私に痛々しいほど伝わった。
帰りたいのに帰ることの出来ない祖母の気持ちを思い、布団の中でこっそりと泣く日が増えた。
そしてそのハガキの片隅の一文は、そのまま私にとって一生忘れられない言葉となったのである。
おばあちゃん、鳥になれたらいいのに、、。
8歳の私は本気でそう思っていた。
続く。